明けましておめでとうございます。ふかみどりです。
昨年(2025年)の11月末、だいぶ遅れて『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来をようやく映画館で見てきました。。
今回は、映画を見た私の感想を書いていきたいと思います。
映画のクオリティの高さに驚く。見ることができて、うれしかった
映画の上映は楽しみにしていたのですが、いよいよ最終決戦になり、戦いが厳しくなっていくことに辛く思うところがあり、映画館に行くのがだいぶ遅くなってしまいました。
でも、映画館で見れるうちに行こう。。と行ってみると、私の想像をはるかに超えるクオリティの作品で驚きました。
原作の漫画を描かれた吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)さんの物語を作り上げる力が、改めてすごいことだと思ったことと、原作を大事にリスペクトをして映画が作られていることが分かり、とてもうれしかったです。
原作者の吾峠呼世晴さんが真摯に物語を紡いでいかれた情熱を、映画でも引き継がれて熱量が溢れた本気の作りだと思いました。そのためか、映画を見ていて涙がとまりませんでした。
蟲柱・胡蝶しのぶさん 尊敬し、大好きです
強くて冷静、綺麗で知的で、恐いくらいの凄みと覚悟がありながら、心のやさしい蟲柱・胡蝶しのぶ(こちょう しのぶ)さんを、私は尊敬していて好きなのです。(もちろん、柱のみなさんすてきで大好きです。。)
今回、映画を見に行くのが遅くなった理由は、おそらく上弦の弍の鬼、童磨(どうま)との戦いになるのではないかと思ったからです。
人間同士で、大柄な体格の男性と、小柄な女性が戦うとしてもかなり不利ですが、相手は人間ではなく、強力な数々の血鬼術を使う上弦の弐の鬼です。
人間のように体力を消耗することもなく、上弦の鬼にもなると大きなダメージを受けても、瞬時に回復するという不利すぎる戦いをしなくてはいけません。
胡蝶しのぶさんは、子供の頃、家族四人で幸せに暮らしていたところに、突然鬼が現れ、両親を殺されてしまいます。(その時に助けに入り、鬼を倒したのは岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじま ぎょうめい)さんでした)
生き残ったしのぶさんと、お姉さんのカナエさんの二人は、「自分たちと同じ思いを他の人にはさせない。二人で一体でも多く鬼を倒そう」と鬼殺隊に入りました。お姉さんのカナエさんは柱(花柱)になった後に、この上弦の弐の鬼・童磨と戦い、致命傷を負い、亡くなられています。
剣士として、小柄で体格に恵まれなかったしのぶさんは、薬学の知識を最大限に活かし、鬼の弱点の一つになる「藤の花」から猛毒を抽出し、鬼の体に打ち込むことができる特殊な日輪刀を使います。
しのぶさんが戦う姿を見て、私は最終決戦を描くこの映画を見に行くのが辛くも感じて、遅くなってしまったことは違っていたと思いました。
この後に、ここに来るであろう継子(つぐこ)のカナヲのためにも、上弦の鬼を倒せば何百人もの人を助けられると、重傷を負いながらも力を振り絞り、鬼の急所になる首に毒を叩き込みます。
善逸と兄弟子・獪岳、育手の元柱の慈悟郎さん
「雷の呼吸の壱ノ型」しか使えない善逸(ぜんいつ)と、「雷の呼吸の壱ノ型」だけ使えない(他の雷の呼吸の型は使える)兄弟子だった獪岳(かいがく)。そのために、育手(そだて)の元柱のお爺さん(桑島慈悟郎 くわじま じごろうさん)は、二人を共同で雷の呼吸の後継にしました。
それが気に入らなかった獪岳は、後に鬼になってしまいます。雷の呼吸の継承権を持つ弟子が、鬼になってしまったため、育手の慈悟郎さんは、介錯をつけずに一人で腹を切り、長い間苦しんだ末に亡くなられます。
映画を見ていて、もし獪岳が、育手の慈悟郎さんは二人の弟子を分け隔てなく、大切にしていたこと、そして育手の慈悟郎さんにとっても、弟弟子の善逸にとっても、自分は特別で大切な人なんだと気がついてくれていたらと思いました。二人で、肩を並べて鬼と戦い、雷の呼吸を極めていけていたらどんなに良かったか。。。
善逸が、兄弟子の獪岳を見ていて「心の中の幸せを入れる箱に穴があいているんだ。どんどん幸せがこぼれていく。その穴に早く気づいて塞がなきゃ、満たされることはない」と心の中で思う言葉は、作者の吾峠呼世晴さんの観察眼などを感じました。
善逸は、鬼になった獪岳と戦い、深手を負って意識を失っている時に、三途の川のようなところで、育手の慈悟郎さん(善逸は、爺ちゃんと呼んでいる)と再会します。
私はおばあちゃん子で、子供の頃からかわいがられてお世話になっていたこともあり、慈悟郎さんの無償の愛が身に染みて伝わってきて、涙が止まりませんでした。
伊之助と村田さんにほっとする。愈史郎さんと珠代さんの活躍
最終決戦の厳しい戦いが続く中で、いつもの明るい伊之助(いのすけ)と、いつもの様子で変わらずがんばっている鬼殺隊士の村田さんは、見ていてほっとしました。
下弦くらいの力を与えられた鬼がうじゃうじゃ次から次にと現れる無限城の中で、「修行の成果を試すのに丁度いいぜぇー」と猪突猛進に走り回る伊之助。カラスに向かって、「強い鬼のところに案内しやがれ。早くしないと(刀で)つっつくぞ」と元気な伊之助。(実際にはつっつかないと思うが、追われるカラスは必死に飛んでいて大変)
映画の伊之助を見ていて、私の知っている芸能人の中で、伊之助っぽい、伊之助が演じられそうな人がふと浮かびました。Snow Man(スノーマン)の佐久間大介さんが、あっ、少し似ていると思いました。
(腹筋を習慣にして鍛えていて、体が柔らかく柔軟性があり、声も大きい。顔立ちはお母様に似ていて女性的な感じもする。伊之助のようににごりのないきれいさがあるのが、共通点ではないかと私は思いました)
と思っていたら、佐久間さんは善逸も演じられそうな感じがすることに気がつきました。きょどった感じ、良い人の感じ両方再現できそうだ。。すごいぞ。。
村田さんは、鬼の愈史郎(ゆしろう)さんとの掛け合いが面白くて、「おめぇ、階級何なんだよ!」とやっているのを見て、「ぶほっ」とふいてしまいました。(鬼の愈史郎さんは、珠代さんに鬼殺隊士の救護と支援を言いつけられて、隊服を着てまぎれこんでいる)
村田さんや鬼殺隊士の方々は、負傷した善逸をはげまして声を掛けながら、鬼とも戦っていてすごい。(村田さんは、「水の呼吸 弍ノ型 水車」を使い、鬼の首を切っていて、隊士のみなさん柱稽古の成果が出ている、と思いました)
鬼であり、医者でもある珠代さんと、珠代さんの力で唯一、鬼となった愈史郎さんは、この最終決戦で鬼殺隊の大きな力となります。
以前より珠代さんは、炭治郎(たんじろう)が倒した鬼たちの血を調べ、「鬼を人間に戻す薬」について研究を進めてきました。その後、お屋形様(鬼殺隊当主の産屋敷耀哉・うぶやしき かがや)の依頼を受け、薬学や鬼の体に精通する蟲柱のしのぶさんと協力して、鬼の始祖になる鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)を倒すための研究を行います。ここで生み出された薬が、無残などの鬼に使われることになります。また鬼の使う血鬼術による、鬼殺隊士の負傷の進行を止める「血気止め」や解毒薬などの薬も珠代さんが開発をされました。
愈史郎さんは、「目隠し」の血鬼術を使います。「目のような絵」が描かれた紙を用い、様々なことができるのです。
広い無限城の中で、この紙(血鬼術の目)を、おでこに付けた人や、首に付けたカラスの視覚を共有することでき、鬼殺隊内での情報の把握、伝達を早く行うことができるようになりました。
そして、この血鬼術の目を使うと、人の目では分からなかった鬼のいる位置なども見渡すことができるようになります。
義勇さん、炭治郎と猗窩座(狛治)
水柱の冨岡義勇(とみおか ぎゆう)さんは、炭治郎と禰豆子(ねずこ)の命の恩人になり、私もとても好きな登場人物です。水のように静かに澄んでいて、かっこいいなぁと思っていたのですが、この『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来 での登場シーンがとてもカッコよかった。。(SNSなどを見ていると、義勇さんの人気がすごくて共感がしみわたる)
落下していく炭治郎を助けるため、迷いなく急降下して、青い光とともに現れる義勇さん。。すてきで「はっ」としました。
(蟲柱の胡蝶しのぶさんも、この戦いにかける覚悟があらわれていて、ひとり急降下されていました。かっこいい。。)
Aimer(エメ)さんの歌う曲『太陽が昇らない世界』も、映画の始まりと合っていてとても良かったです。抑えた感じ(でも熱量があちこちに溢れてきている感じ)の歌い方が好きです。
水柱の冨岡義勇さんと、上弦の参の鬼・猗窩座(あかざ)との戦いを見て、小柄な胡蝶しのぶさんが心の中でいいなぁと思っていた体格に恵まれた男性同士の戦いになるなと少し思いました。ものすごい迫力です。(とはいっても、相手は百年以上も生きている上弦の鬼。体力の消耗もなく、大きな傷もたちどころに元に戻ります。壮絶な鍛錬を積み重ねた柱でも、生身の人間であり、時間がたつほど圧倒的に不利な戦いになります)
なぜ猗窩座は、磁石に吸い寄せられるように攻撃が正確なのか、自分の背後など死角からの攻撃にも必ず反応できるのか、炭治郎はこの不利な戦いに勝つために、記憶をさかのぼり考えます。
たどり着いた「透き通る世界」。(猗窩座も目指していた至高の領域、無我の境地)
とても精神的で、日本的だと思い、興味深く見入っていました。
作者の吾峠呼世晴さんの世界の奥深さを感じて、この作品が世界中で人気を集めている理由も分かる気がとてもしました。
鬼の始祖である鬼舞辻無惨や、上弦の参の猗窩座も、鬼は元々は人間でした。百年以上も前、猗窩座の人間の頃(狛治という名前になる)のことも映画の中で語られます。
少年の狛治(はくじ)は、すりを繰り返し、奉行所につかまり「まじめに働け」と重い刑罰をくり返し受けます。病気の父親に必要な薬が高く、やせていく父親の体を見て、栄養のあるものを食べさせたいと、まじめに働くお金だけでは、生きていく為に足りない様子が分かります。映画の狛治や狛治のお父さんを見ていて、圧政に苦しむ人の姿は今の時代にも重なると感じました。
縁があって、「素流(そりゅう)」という素手で戦う武術の道場をしている師範の慶蔵(けいぞう)さん、娘の恋雪(こゆき)さんと生活をするようになります。病で苦しむ恋雪さんの看病をし、道場で師範と稽古をして過ごすなかで狛治の心は救われていきます。
素流の道場に隣接する剣術道場のやったことは、人を外れてしまった鬼の行いと言える。道場のこの件に関わった者は、仇討ちをされたことに対し、自分たちのしたことを棚にあげて文句は言えない。狛治1人に対して、多数(67人)の剣術道場の跡取り息子と門下生の武術を極める者同士である。(剣術道場の女中には手は下さなかった)
その後、狛治は町中をさまようように歩いているところで、運の悪いことに鬼舞辻無惨と遭遇してしまいます。
人であっても、鬼のようになってしまった存在や、炭治郎のように心の中が暖かく広く澄んでいる人もいる(劇場版「鬼滅の刃」無限列車編)。
また、鬼であっても、珠代さんや愈史郎さん、禰豆子のような方々もいます。
人は、鬼のような存在にも、暖かな存在にもなれる中で、どう生きていくのかを試されているのかもしれません。

読んでいただき、ありがとうございます。
年末年始に風邪とぜんそくで、寝込んでいたのですが
直ったら、また映画館で『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来 を見てきたいと思っています。
(映画の入場特典 第十三弾の「卓上スタンディ」私もほしいです!)
